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冨久

冨久(ふく)

所属:

概要・経歴

生家は紀州の豪商。母が徳川重倫に手込めにされてできた娘。冨久を勝手に生んだことが徳川重倫のかんに障り、母とその夫(玄大黒の嘉太郎の父)は殺される。

両親の死によって生家は没落し、さらに冨久が10歳のときに火事になる。玄大黒の嘉太郎と諸国を放浪(唐津や若狭にもいた)し、柳橋の芸妓をしていたときに叶屋幸左衛門と知り合う。

水野忠邦に目を付け、抱き込むために叶屋幸左衛門に嫁入り。玄大黒の嘉太郎が北林で金鉱を発見すると、金の採掘・錬成に関する証文を水野忠邦から取り付ける。

叶屋幸左衛門の財力に陰りが見えると見限り、福乃屋富三を抱き込んで宿に放火。その足で北林に向かい北林景亘に話を付け、紀州に戻って福乃屋を作らせて玄大黒の嘉太郎を江戸から呼び寄せた。

水野忠邦が大坂城代になると福乃屋も大坂に移転。さらに主人が死んだ丁字屋を助ける体で丁字屋を乗っ取り、江戸に進出させた。

祇右衛門の仕組みに気づき、秘かに手を貸していた。

福乃屋の蔵が小右衛門によって破壊されると福乃屋を切り捨てる。

究極の目的は、武士の支配を打ち壊し、商人の専横も打ち崩すこと。そのために久平を利用して先の帝に近づき登代を出産。登代を道具に帝に取り入り、天子を神輿に担いで、莫大な財力を遣って天下をひっくり返そうとした。

天保13年6月1日、中禪寺洲齋による憑き物落とし時に福乃屋富三に刺されて死亡。

寛政12年(1800年) 誕生
文化7年(1810年) 家が火事になる
文化10年(1813年) 叶屋幸左衛門に嫁ぐ
文化14年(1817年) 水野忠邦から証文を取り付ける
文政3年(1820年) 熊川宿で火事を起こす
天保13年(1842年)6月1日 死亡

外見

小柄な女。黒羽織に白っぽい着物、鮫小紋。

取り分け美しいということもなかったが、別段醜いということもなく、それなのに凡庸にも見えなかった。年齢は全く判らない。若く見えるという訳ではない。母のようでもあり娘のようでもあり、妻のようでもあった。

家族・親族

父:徳川重倫
兄:玄大黒の嘉太郎(冨久の2歳上)
夫:叶屋幸左衛門
男:先の帝
娘:登代

別名・仇名・通称

登場作

了巷説百物語 葛乃葉・手洗鬼・野宿火


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