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久瀬棠庵

久瀬棠庵(くぜとうあん)

概要・経歴

儒学者崩れの本草学者。鼻が利く。

天明6年(1786年)時は藤左衛門長屋(一番奥の左側)に住んでいる。20歳を少し出た程度。働くどころか家から出ない。のみならず、動かない。昼間から百目蝋燭を点している。飯はあまり喰わないし厠にもあまり行かないが、湯屋には忠実に通っている。春先と秋口に1カ月ほど出かけるという生活を送っている。

平賀源内が残した千両を受け取る、転居に際して藤左衛門を紹介されるなど、根岸鎮衛と浅からぬ因縁がある。

後、ゑんま屋子飼い連中の1人になり下谷に住む。

医事薬事にも明るく、医者の真似事もする。特に調剤に長けており、医者の薬よりも効くらしい。まともな医者に掛かれない貧乏人はかりを相手に、ほぼ無償で診療治療をしている。

普段は縮こまって本を読んでいる。商売を営んでいる風ではなく、どうやって糊口を凌いでいるのかまったく判らない。だが、世俗を嫌う世棄て人かというとそうでもない。達観しているようで子ども染みている。

祇右衛門事件時に消息不明となる。

ちなみに、生駒屋の二代目および山岡百介と懇意にしていた。

安永8年(1779年) 千両を根岸鎮衛から渡される
天明5年(1785年)正月 藤左衛門長屋に転居
天明6年(1786年)秋口 登勢を助ける
天明6年(1786年)秋 善兵衛死亡事件を解決(馬癇)
 巳之助にまつわる事件を解決(気積)
 12月 うお膳にまつわる事件を解決(脾臓虫)
天明7年(1787年)1月 根岸鎮衛を動かして庚申講問題を解決(蟯虫)
 里江家の娘が堕胎させられるのを防ぐ(鬼胎)
 萬蔵を助ける(腸満)
天明7年(1787年)6月 登勢毒殺を防ぐ(肺積)
文政9年(1826年)11月 消息不明になる

外見

天明6年(1786年)時は骨と皮ばかり。肌の色が抜けている。色白というより透けている。

文政7年(1824年)ごろは小柄な老人。あるのかないのか判らないような眉。

家族・親族

別名・仇名・通称

先生

登場作

前巷説百物語 寝肥・二口女・かみなり・山地乳・旧鼠
病葉草紙


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