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関口巽

関口巽(せきぐちたつみ)

赤面症で対人恐怖症の、風采の上がらぬ小説家。中禅寺秋彦に冷遇され木場修太郎に罵倒され、榎木津礼二郎には下僕扱いされる。子どもを作ることに生理的な恐怖を感じており、まだ子どもはいいない。

住まいは中央本線中野駅から歩いて20分(神田上水沿いに立つアパート「ムジナ荘」の近くだったという説もある)。

一時期画学生を目指そうとしていた。

経歴

旧制高校時代、中禅寺秋彦榎木津礼二郎らと知り合う。太平洋戦争では徴兵され、将校として小隊を率いる。そのときの部下が、職業軍人だった木場修太郎

戦後は、大学から資金援助を得て粘菌などの研究を行っていた。雪絵との結婚を機に粘菌の研究を辞め、物書きに専念する。稀譚舎の「近代文藝」にときどき寄稿する傍ら、カストリ雑誌などに匿名で執筆。「月刊實録犯罪」に寄稿するときのみ、「楚木逸己」というペンネームを用いる。

平成18年(2006年)以前に死亡したとの説あり。

昭和15年9月16日 久遠寺涼子を陵辱
昭和15年9月16日 鬱病発症
昭和25年 雪絵と恋愛結婚、粘菌研究を辞める
昭和25年5月30日 「嗤フ教師」発表(近代文藝)
昭和25年9月 鍵をなくすが中禅寺秋彦の助言で発見
昭和25年9月30日 「イデオロギヰの馬」発表(近代文藝)
昭和26年1月30日 「E. B. Hの肖像」発表(近代文藝)
昭和26年4月30日 「天女転生」発表(近代文藝)
昭和26年7月30日 「蒼ざめたものを待つて」発表(近代文藝)
昭和26年10月30日 「舞踏仙境」発表(近代文藝)
昭和27年5月30日 「温泉郷の老爺」発表(近代文藝)
昭和27年7月 中禅寺敦子から久遠寺医院の噂を聞き、鳥口守彦に教える
昭和27年7月初旬 雑司が谷嬰児連続失踪事件に介入
昭和27年8月30日 「眩暈」発表(近代文藝)
昭和27年8月30日 武蔵野連続バラバラ殺人事件に介入
昭和27年10月14日 単行本「眩暈」の見本完成
昭和27年12月1日 久保竣公の葬儀に参列
 宇多川崇の相談を受ける
昭和28年1月3日 雪絵と中禅寺宅へ年始回り
 宮村加奈男と知り合う
昭和28年2月 箱根旅行
昭和28年3月 短編「犬の逝く径」を「近代文藝」に持ち込み
 宮村加奈男加藤麻美子と会う
昭和28年4月 中禅寺秋彦とともに織作家を訪問
昭和28年4月下旬 京極堂で宮村加奈男と会う
昭和28年4月30日 「犬の逝く径」発表(近代文藝)?
昭和28年5月28日 妹尾友典に戸人村調査を依頼される
昭和28年5月30日 「獨弔」発表(近代文藝)
昭和28年6月4日 伊豆入り
昭和28年6月10日 戸人村発見
昭和28年6月11日 蓮台寺裸女殺害事件の容疑者になる
昭和28年7月後半 横溝正史と邂逅
 京極堂訪問
昭和28年7月後半 奥貫薫子の遺体第一発見者
昭和28年9月 大磯平塚連続毒殺事件に関わる
昭和29年正月 大河内康治に遣り込められる
昭和29年2月 日光でテニス
(おまけ)
昭和36年前後 神田上水で寒中水泳している少年(両津勘吉)を発見
平成18年以前 死亡

外見

背が低い。髭が濃い。猿に似ている。猫背、腕も足も指も短い。

草臥れた茶色のコートを着ている。猫背気味。頬は倦み疲れたように弛緩している。どちらかと云えば無骨な面相なのに、不釣り合いに睫が濃く長い。

家族・親族

妻:関口雪絵

父:関口巽の父

母:関口巽の母

弟:詳細不明

祖父:関口巽の祖父

曽祖父:関口半次郎

別名・仇名・通称

陰花植物、猿、関君、関タツ、亀君、猿按摩、盲導猿、下僕の王、健忘さん、サルオロカ、猿渡(榎木津)、タツさん(関口雪絵)、楚木逸己(ペンネーム)

登場作

姑獲鳥の夏
魍魎の匣
狂骨の夢
鉄鼠の檻
絡新婦の理
塗仏の宴
陰摩羅鬼の瑕
邪魅の雫
鵼の碑
百鬼夜行 陰 川赤子
百器徒然袋 雨 山颪
百鬼夜行 陽 目競
ぬらりひょんの褌(小説 こちら葛飾区亀有公園前派出所

関連地図

&googlemaps3(lat=35.706935, lng=139.665842, width=400px, height=300px, mapctrl=small); &googlemaps3_draw(circle, lat=35.706935, lng=139.665842, radius=1.6, weight=3); 徒歩1分=80mとして、直線距離で1600m。大体この範囲内に関口家がある?


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