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水野忠邦
水野忠邦(みずのただくに)†
所属:実在の人物
概要・経歴†
老中首座。聡明で、学識もあり情に厚く、志を持った、立派な御仁(中禪寺洲齋評)。
冨久の指南に従って出世した。玄大黒の嘉太郎が北林で金鉱を発見すると、冨久の要請に従って便宜を図る旨の証文を与える。
以後、北林景亘を使って北林藩で掘った金塊を遠野で精錬して出世の資金源にする。
遠野で作った金塊を小判にするため、鳥居耀蔵を手懐けて小判を作る。
又市によって北林からの資金源を絶たれ、反水野派によって失脚させられる。老中首座に再任されたが再び失脚して隠居・謹慎を申し付けられ、水野家は出羽に転封となる。
文化9年(1812年) 唐津藩主
文化13年(1816年) 奏者番
文化14年(1817年) 浜松藩に転封
文政8年(1825年) 大坂城代
文政9年(1826年) 京都所司代
天保10年(1839年) 老中首座
天保12年(1841年) 天保の改革
天保14年(1843年) 老中罷免
弘化元年(1844年) 老中首座復帰
弘化2年(1845) 辞任
外見†
家族・親族†
別名・仇名・通称†
通称:水野越前守(受領名)
登場作†
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