稲荷藤兵衛 の履歴(No.1)
稲荷藤兵衛(とうかとうべえ)†
概要・経歴†
下総国酒々井宿の墨村に住む、貧しい小作の四男。幼い頃から目端が利く、小賢しい小僧だった。神信心仏信心には甚く無頓着。家には神棚も仏壇さえもなかった。
狐狩りの大名人としてその名は板東一円に轟いていた。
嘘やまやかしを見破ることに長けており、裏の渡世は洞観屋。詐欺を未然に防ぎ、科人の罪を暴くという風聞が宿場役人の耳にも届き、奉行所や代官所から非公式に呼ばれるようになる。
洞観屋の技能を見込まれ、水野忠邦の邪魔をする連中(化け物遣い)の正体を暴けと山崎由良治に依頼される。山崎由良治が付けたお玉と源助を伴い調査を始めると、山岡百介に疑いの目が向くことを恐れた又市側から接触を受ける。又市を「指す」代わりに山岡百介は無関係とする条件を飲み、大御所死亡を契機に化け物遣いの探り役を辞す。
勘作の妻子(登代と多吉)の保護、庄吉の訪問によって再び化け物遣いの一件に関わり始め、中禪寺洲齋との出会い、寿々と治平の死などを通して事態に介入。中禪寺洲齋による冨久の憑き物落としを見届ける。
事件後、洞観の仕事を罷めて多吉を引き取る。
天保10年(1839年)暮れ間際 山崎由良治に洞観屋仕事を依頼される
天保11年(1840年)2月 番町の青山屋敷でおぎん、徳次郎と遭遇
5月 北品川の柳屋で那須乃家たからと接触
12月 田所真兵衛、志方兵吾を訪ねる
櫻木村に行く
天保12年(1841年)1月7日 化け物遣いの探り役を辞す
1月10日 文作に登代と多吉を預かってほしいと依頼される
天保13年(1842年)3月 福乃屋の番頭庄吉が訪問
武蔵晴明社を訪問
田所真兵衛に捕縛される
寿々、治平の死に立ち会う
叶屋幸左衛門の憑き物落とし
4月 一文字屋仁蔵の死に立ち会う
5月 細民窟に潜伏、白蛇のお市を弔う
6月1日 冨久の屋敷の憑き物落としに立ち会う
嘉永2年(1849年)夏 江戸で山岡百介、宇夫方祥五郎夫妻、八咫の烏(又市)に出会う
外見†
狐釣り装束は狐革の袖無しに手甲脚半。天保十三年時点でそろそろ50歳。
家族・親族†
兄:死亡
兄:死亡
兄:行方不明
姉:遠州に嫁ぎ、死亡
養子:多吉
別名・仇名・通称†
別名:お狐様(お玉)
登場作†
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