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宇夫方祥五郎
宇夫方祥五郎(うぶかたしょうごろう)†
所属:盛岡藩
概要・経歴†
武士。阿曽沼の家臣の傍系で宇夫方広隆の同族。南部義晋に十年間側衆として仕え、義晋が家老になった際、遠野保の民草の動向を逐一報告するよう命じられる。非公式に御譚調掛と呼称される。弘化2年(1845年)時27歳。記録上は藩士ではなく浪士。
江戸で1年暮らしたことがある。
話を集めるはずが、「話を創っている、話に咬んで話を曲げている。線引きが必要だ」と仲蔵に忠告される。
1845年からの一連の事件に関与し、1847年の一揆を契機に侍身分を捨てる。佐田志津と結婚し、江戸に出て佐田志津と汁粉屋を営む。汁粉屋には山岡百介が定期的に通っている。
1845年夏前 愛宕山麓の鉄漿女の件に関わる
1845年10月 半兵衛騒動に関わる
1845年11月 鳳凰屋仁平から真相を聞かされ、仲蔵に仕事を依頼
1846年1月 鬼熊騒動に関与
1846年夏 佐田久兵衛の書き付けを預かり恙虫騒動の沈静化に尽力
1846年 斬られて田荘洪庵の治療を受ける
1847年 佐田志津と結婚
1849年時点 江戸の腰掛茶屋を居抜きで買い上げ、汁粉屋を営む
外見†
童顔
家族・親族†
妻:佐田志津
姉:死亡
別名・仇名・通称†
通称:祥さん
登場作†
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