寺田兵衛
寺田兵衛(てらだひょうえ)†
概要・経歴†
穢封じ御筥様の教主。人の不幸に「魍魎」という名を与え、つつましい生活と不要な財産の喜捨を勧め、箱(御筥様)を用いた魍魎封じを行う。実際は久保竣公の傀儡。昭和27年当時で45、6歳。
武蔵野出身。祖父に憧れ、尊敬していた。凡庸な若者で、中等学校を卒業すると隣町の町工場に就職して旋盤工となる。工場が左前になると、少し大きめの鉄工所に移り溶接の仕事をした。20歳になったとき、工場を辞めて父忠の箱屋を手伝うようになる。仕事の覚えも早く、一人前の木工職人になるのに時間はかからなかった。
25、6歳でサトと結婚。家督相続後は、町工場で覚えた技術を応用して金属の箱造りを始める。
戦争で召集され、手先が器用だったせいか軍医に気に入られ、能く手伝いをさせられた。昭和21年秋に無事復員(37歳)。その5年後、久保竣公に操られて穢封じ御筥様を開始。信者から金を騙し取ったという意識はなく、喜捨には手を付けずに保管していた。
久保竣公の葬儀を中禅寺秋彦に依頼し、葬儀後は久保竣公ゆかりの九州で暮らす。
昭和6年 サトと見合い結婚
昭和7年 久保竣公誕生
昭和21年秋 復員
昭和25年11月 久保竣公が現れる
昭和25年暮れ 吉村義助の風呂屋で箱発見
昭和26年2月ごろ 信者が出入りし始める
昭和26年8月末 寺田木工製作所から穢封じ御筥様への改装完了
昭和26年10月 ひっきりなしに相談者が訪れるようになる
昭和27年12月1日 久保竣公の葬儀を行う
外見†
白装束。白髪交じりの頭を短く刈り込んで、兜巾(山伏がかぶるような帽子)を被っている。
骸骨に皮を張ったような男だが痩せているというわけではなく、余分なものが剃ぎ落とされているような感じ。
眼光は鈍く、視線に重力がある。瞳孔が少し混濁していた(白底翳つまり白内障が原因)。
家族・親族†
父:寺田忠
母:寺田正江
妻:寺田サト
子:久保竣公
別名・仇名・通称†
穢封じ御筥様教主
登場作†
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