共産主義活動家として笹村伴輔に接触。
笹村伴輔と実験施設を監視していた際に寒川英輔の転落を目撃。寒川が持っていたガイガーカウンターを見て、核爆弾が開発されていると確信。
寒川英輔の死体を桐山寛作の小屋経由で東京に運ぶ。
寒川英輔の遺体を特高に引き渡すのに邪魔だった笹村伴輔と笹村澄代を殺害し、遺体の引き渡し場所だった芝公園に並べておいた。
鵼の碑