山岡百介 の履歴(No.8)
山岡百介(やまおかももすけ)†
概要・経歴†
江戸京橋在住の若隠居。諸国の怪異譚を聞き集めるのを楽しみとする戯作者志望で、百物語の開板を志す。旅先で又市と知り合い、まっとうな身なり風体物腰が要求される場面に協力させられる。祇右衛門(2人目)の捕縛時「17、8の若造」だったことから、又市らの仕事に関わるようになったのは27、8歳ごろからか。
物心がつかぬうちに、京橋の蝋燭問屋生駒屋に里子に出される。文人気取りの好事家だった先代(久瀬棠庵の知人)が亡くなった際、三代目となるが店を大番頭喜三郎に譲って隠居。生駒屋の離れに住む。
北林藩の祟りの一夜から4年後、一文字屋仁蔵の口利きで戯作を開板。北林藩で小右衛門の死を見届けた後、旅に出るのをやめて江戸に引きこもる。また、ついに百物語を開板することはなかった。
おぎんの孫山岡小夜を引き取ると、生駒屋を出て薬研堀界隈に九十九庵なる閑居を構える。百物語事件の後、九十九庵にてひっそりと息を引き取る。
摂津の村を訪問したのは「大塩平八郎の乱(天保8年:1837年)の翌年あるいは翌々年」とあること、又市らと行動を共にしたのは数年間と回想していることから、百介が又市らと関わっていたのは天保年間であったと推定される。また、明治9、10年から「約40年前」にも合致する。
天保年間半ば 又市らと行動を共にする
元治元年 和田智弁訪問、小夜を引き取る
慶応元年 九十九庵を購入
慶応2年 笹村与治郎が通ってくるようになる
明治10年 死亡
外見†
若い男。侍ではないが身なりはきちんとしている。帯に矢立を差し、腰に帳面を提げている。
(老後)鶴の如くに痩せ細った色白の老爺。髷を落とした白髪を短く刈り込み、墨染めの作務衣に鼠色の袖無しを羽織った姿は、禅僧と見紛うばかりに枯れ果てている。
家族・親族†
父:山岡某
兄:山岡軍八郎
養女:山岡小夜
別名・仇名・通称†
考物の百介、生駒屋百介(本名)、若旦那(生駒屋の者)、菅丘李山(筆名)、薬研堀のご隠居(老後の通称)、一白翁(号)
登場作†
スポンサーリンク