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冨久 の変更点


#author("2024-06-27T20:21:38+09:00","default:nekhet","nekhet")
*冨久(ふく) [#me1f8603]
RIGHT:所属:
**概要・経歴 [#zbe4d660]
生家は紀州の豪商。母が[[徳川重倫]]に手込めにされてできた娘。冨久を勝手に生んだことが[[徳川重倫]]のかんに障り、母とその夫([[玄大黒の嘉太郎]]の父)は殺される。

両親の死によって生家は没落し、さらに冨久が10歳のときに火事になる。[[玄大黒の嘉太郎]]と諸国を放浪(唐津や若狭にもいた)し、柳橋の芸妓をしていたときに[[叶屋幸左衛門]]と知り合う。

[[水野忠邦]]に目を付け、抱き込むために[[叶屋幸左衛門]]に嫁入り。[[玄大黒の嘉太郎]]が北林で金鉱を発見すると、金の採掘・錬成に関する証文を[[水野忠邦]]から取り付ける。

[[叶屋幸左衛門]]の財力に陰りが見えると見限り、[[福乃屋富三]]を抱き込んで宿に放火。その足で北林に向かい[[北林景亘]]に話を付け、紀州に戻って福乃屋を作らせて[[玄大黒の嘉太郎]]を江戸から呼び寄せた。

[[水野忠邦]]が大坂城代になると福乃屋も大坂に移転。さらに主人が死んだ丁字屋を助ける体で丁字屋を乗っ取り、江戸に進出させた。

[[祇右衛門]]の仕組みに気づき、秘かに手を貸していた。

福乃屋の蔵が[[小右衛門]]によって破壊されると福乃屋を切り捨てる。

究極の目的は、武士の支配を打ち壊し、商人の専横も打ち崩すこと。そのために[[久平]]を利用して[[先の帝]]に近づき[[登代]]を出産。[[登代]]を道具に帝に取り入り、天子を神輿に担いで、莫大な財力を遣って天下をひっくり返そうとした。

天保13年6月1日、[[中禪寺洲齋]]による憑き物落とし時に[[福乃屋富三]]に刺されて死亡。

寛政12年(1800年) 誕生~
文化7年(1810年) 家が火事になる~
文化10年(1813年) [[叶屋幸左衛門]]に嫁ぐ~
文化14年(1817年) [[水野忠邦]]から証文を取り付ける~
文政3年(1820年) 熊川宿で火事を起こす~
天保13年(1842年)6月1日 死亡

**外見 [#u7731c86]
小柄な女。黒羽織に白っぽい着物、鮫小紋。

取り分け美しいということもなかったが、別段醜いということもなく、それなのに凡庸にも見えなかった。年齢は全く判らない。若く見えるという訳ではない。母のようでもあり娘のようでもあり、妻のようでもあった。

**家族・親族 [#a0246895]
父:[[徳川重倫]]~
兄:[[玄大黒の嘉太郎]](冨久の2歳上)~
夫:[[叶屋幸左衛門]]~
男:[[先の帝]]~
娘:[[登代]]~

**別名・仇名・通称 [#y45895d8]

**登場作 [#db90386c]
[[了巷説百物語]] 葛乃葉・手洗鬼・野宿火


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