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#author("2024-08-13T16:12:48+09:00;2024-08-13T12:09:00+09:00","default:nekhet","nekhet") #author("2024-08-14T09:03:20+09:00;2024-08-13T12:09:00+09:00","default:nekhet","nekhet") *久瀬棠庵(くぜとうあん) [#ad17558e] RIGHT:所属:[[藤左衛門長屋]]/[[ゑんま屋]] **概要・経歴 [#e38b1cc0] 儒学者崩れの本草学者。鼻が利く。 天明6年(1786年)時は藤左衛門長屋(一番奥の左側)に住んでいる。20歳を少し出た程度。働くどころか家から出ない。のみならず、動かない。昼間から百目蝋燭を点している。飯はあまり喰わないし厠にもあまり行かないが、湯屋には忠実に通っている。春先と秋口に1カ月ほど出かけるという生活を送っている。 [[平賀源内]]が残した千両を受け取る、転居に際して[[藤左衛門>藤左衛門(藤介父)]]を紹介されるなど、[[根岸鎮衛]]と浅からぬ因縁がある。 後、ゑんま屋子飼い連中の1人になり下谷に住む。 医事薬事にも明るく、医者の真似事もする。特に調剤に長けており、医者の薬よりも効くらしい。まともな医者に掛かれない貧乏人はかりを相手に、ほぼ無償で診療治療をしている。 普段は縮こまって本を読んでいる。商売を営んでいる風ではなく、どうやって糊口を凌いでいるのかまったく判らない。だが、世俗を嫌う世棄て人かというとそうでもない。達観しているようで子ども染みている。 祇右衛門事件時に消息不明となる。 ちなみに、生駒屋の二代目および[[山岡百介]]と懇意にしていた。 安永8年(1779年) 千両を[[根岸鎮衛]]から渡される~ 天明5年(1785年)正月 藤左衛門長屋に転居~ 天明6年(1786年)秋口 [[登勢]]を助ける~ 天明6年(1786年)秋 [[善兵衛]]死亡事件を解決(馬癇)~ [[巳之助]]にまつわる事件を解決(気積)~ 12月 うお膳にまつわる事件を解決(脾臓虫)~ 天明7年(1787年)1月 [[根岸鎮衛]]を動かして庚申講問題を解決(蟯虫)~ 里江家の娘が堕胎させられるのを防ぐ(鬼胎)~ [[萬蔵]]を助ける(腸満)~ 天明7年(1787年)6月 [[登勢]]毒殺を防ぐ(肺積)~ 文政9年(1826年)11月 消息不明になる~ **外見 [#z132a6d7] 天明6年(1786年)時は骨と皮ばかり。肌の色が抜けている。色白というより透けている。 文政7年(1824年)ごろは小柄な老人。あるのかないのか判らないような眉。 **家族・親族 [#lf8197e4] **別名・仇名・通称 [#r6de150c] 先生 **登場作 [#z5d064db] [[前巷説百物語]] 寝肥・二口女・かみなり・山地乳・旧鼠~ [[病葉草紙]]~
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