紀伊和歌山藩藩主。奇行愚行で周囲を悩ませた。
ことあるごとに抜刀して家人に斬り付け、江戸屋敷に於いては松江藩藩邸に向け発砲。傍若無人なる行いは目に余るものがあり、江戸城登城も禁じられ、9年で蟄居を命じられた。
冨久の母を手込めにして冨久を生ませた。だが、冨久を勝手に生んだのが気に入らず、冨久の母とその夫を殺す。
文政12年、84歳で天寿を全うする。
子:冨久
了巷説百物語 野宿火