スポンサーリンク
スポンサーリンク
稲荷藤兵衛 の変更点
- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
- 稲荷藤兵衛 へ行く。
- 稲荷藤兵衛 の差分を削除
#author("2024-06-27T20:54:23+09:00","default:nekhet","nekhet") *稲荷藤兵衛(とうかとうべえ) [#m32de51f] #author("2024-06-27T20:54:48+09:00","default:nekhet","nekhet") *稲荷藤兵衛(とうかとうべえ) [#ofe47ec7] RIGHT:所属: **概要・経歴 [#p82f5903] **概要・経歴 [#dd043973] 下総国酒々井宿の墨村に住む、貧しい小作の四男。幼い頃から目端が利く、小賢しい小僧だった。神信心仏信心には甚く無頓着。家には神棚も仏壇さえもなかった。 狐狩りの大名人としてその名は板東一円に轟いていた。 嘘やまやかしを見破ることに長けており、裏の渡世は洞観屋。詐欺を未然に防ぎ、科人の罪を暴くという風聞が宿場役人の耳にも届き、奉行所や代官所から非公式に呼ばれるようになる。 洞観屋の技能を見込まれ、[[水野忠邦]]の邪魔をする連中(化け物遣い)の正体を暴けと[[山崎由良治]]に依頼される。[[山崎由良治]]が付けた[[お玉]]と[[源助]]を伴い調査を始めると、[[山岡百介]]に疑いの目が向くことを恐れた[[又市]]側から接触を受ける。[[又市]]を「指す」代わりに[[山岡百介]]は無関係とする条件を飲み、大御所死亡を契機に化け物遣いの探り役を辞す。 [[勘作]]の妻子([[登代]]と[[多吉]])の保護、[[庄吉]]の訪問によって再び化け物遣いの一件に関わり始め、[[中禪寺洲齋]]との出会い、[[寿々]]と[[治平]]の死などを通して事態に介入。[[中禪寺洲齋]]による[[冨久]]の憑き物落としを見届ける。 事件後、洞観の仕事を罷めて[[多吉]]を引き取る。 天保10年(1839年)暮れ間際 [[山崎由良治]]に洞観屋仕事を依頼される~ 天保11年(1840年)2月 番町の青山屋敷で[[おぎん]]、[[徳次郎]]と遭遇~ 5月 北品川の柳屋で[[那須乃家たか]]らと接触~ 12月 [[田所真兵衛]]、[[志方兵吾]]を訪ねる~ 櫻木村に行く~ 天保12年(1841年)1月7日 化け物遣いの探り役を辞す~ 1月10日 [[文作]]に[[登代]]と[[多吉]]を預かってほしいと依頼される~ 天保13年(1842年)3月 福乃屋の番頭[[庄吉]]が訪問~ 武蔵晴明社を訪問~ [[田所真兵衛]]に捕縛される~ [[寿々]]、[[治平]]の死に立ち会う~ [[叶屋幸左衛門]]の憑き物落とし~ 4月 [[一文字屋仁蔵]]の死に立ち会う~ 5月 細民窟に潜伏、[[白蛇のお市]]を弔う~ 6月1日 [[冨久]]の屋敷の憑き物落としに立ち会う~ 嘉永2年(1849年)夏 江戸で[[山岡百介]]、[[宇夫方祥五郎]]夫妻、[[八咫烏]]([[又市]])に出会う~ **外見 [#h0f4b57e] **外見 [#x7039f48] 狐釣り装束は狐革の袖無しに手甲脚半。天保十三年時点でそろそろ50歳。 **家族・親族 [#k4ef861e] **家族・親族 [#m9c13441] 兄:死亡~ 兄:死亡~ 兄:行方不明~ 姉:遠州に嫁ぎ、死亡~ 養子:多吉~ **別名・仇名・通称 [#lf884747] 別名:お狐様(お玉) 養子:[[多吉]]~ **別名・仇名・通称 [#x080bfb0] 別名:お狐様([[お玉]]) **登場作 [#i5a326f2] **登場作 [#tfacbf4e] [[了巷説百物語]]
スポンサーリンク