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山岡百介 の変更点


*山岡百介(やまおかももすけ) [#q9fc1b62]
RIGHT:所属:[[又市一味]]

江戸京橋在住の若隠居。諸国の怪異譚を聞き集めるのを楽しみとする戯作者志望で、百物語の開板を志す。旅先で[[又市]]と知り合い、まっとうな身なり風体物腰が要求される場面に協力させられる。[[祇右衛門(2人目)]]の捕縛時「17、8の若造」だったことから、[[又市]]らの仕事に関わるようになったのは27、8歳ごろからか。

**経歴 [#je5cc070]

物心がつかぬうちに、京橋の蝋燭問屋生駒屋に里子に出される。文人気取りの好事家だった先代([[久瀬棠庵]]の知人)が亡くなった際、三代目となるが店を大番頭[[喜三郎>生駒屋喜三郎]]に譲って隠居。生駒屋の離れに住む。

北林藩の祟りの一夜から4年後、[[一文字屋仁蔵]]の口利きで戯作を開板。北林藩で[[小右衛門]]の死を見届けた後、旅に出るのをやめて江戸に引きこもる。また、ついに百物語を開板することはなかった。

[[おぎん]]の孫[[山岡小夜]]を引き取ると、生駒屋を出て薬研堀界隈に九十九庵なる閑居を構える。百物語事件の後、九十九庵にてひっそりと息を引き取る。

摂津の村を訪問したのは「[[大塩平八郎]]の乱(天保8年:1837年)の翌年あるいは翌々年」とあること、[[又市]]らと行動を共にしたのは数年間と回想していることから、百介が[[又市]]らと関わっていたのは天保年間であったと推定される。また、明治9、10年から「約40年前」にも合致する。

天保年間半ば [[又市]]らと行動を共にする~
元治元年 [[和田智弁]]訪問、[[小夜>山岡小夜]]を引き取る~
慶応元年 九十九庵を購入~
慶応2年 [[笹村与治郎]]が通ってくるようになる~

慶応2年 [[笹村与次郎]]が通ってくるようになる~

明治10年 死亡~

**外見 [#ubf17ee3]
若い男。侍ではないが身なりはきちんとしている。帯に矢立を差し、腰に帳面を提げている。

身なりこそこざっぱりしているが、侍ではなく、町人と見てもやや妙で、年齢も若いのか老けているのかも判らない。江戸者のようなのだが、その割りには垢抜けてもいない。どうにも引っ掛かりのない、するりとした男。

(老後)鶴の如くに痩せ細った色白の老爺。髷を落とした白髪を短く刈り込み、墨染めの作務衣に鼠色の袖無しを羽織った姿は、禅僧と見紛うばかりに枯れ果てている。

**家族・親族 [#fe24d161]
父:[[山岡某]]

兄:[[山岡軍八郎]]

養女:[[山岡小夜]]

**別名・仇名・通称 [#ke0f6990]
[[考物の百介]]、[[生駒屋百介]](本名)、若旦那(生駒屋の者)、[[菅丘李山]](筆名)、[[薬研堀のご隠居]](老後の通称)、[[一白翁]](号)

**登場作 [#yba09581]
[[巷説百物語]]~
[[続巷説百物語]]~
[[後巷説百物語]]~
[[前巷説百物語]] 旧鼠~
[[西巷説百物語]] 野狐~

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