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寺田兵衛 の変更点


*寺田兵衛(てらだひょうえ) [#t8040765]
RIGHT:所属:
**概要・経歴 [#f3f6ee06]
穢封じ御筥様の教主。人の不幸に「魍魎」という名を与え、つつましい生活と不要な財産の喜捨を勧め、箱(御筥様)を用いた魍魎封じを行う。実際は[[久保竣公]]の傀儡。昭和27年当時で45、6歳。

凡庸な若者で、中等学校を卒業すると隣町の町工場に就職。ここで旋盤や溶接の技術を習得する。後に工場を辞めて父[[忠>寺田忠]]の箱屋を手伝うようになる。仕事の覚えも早く、一人前の木工職人になるのに時間はかからなかった。

武蔵野出身。祖父に憧れ、尊敬していた。凡庸な若者で、中等学校を卒業すると隣町の町工場に就職して旋盤工となる。工場が左前になると、少し大きめの鉄工所に移り溶接の仕事をした。20歳になったとき、工場を辞めて父[[忠>寺田忠]]の箱屋を手伝うようになる。仕事の覚えも早く、一人前の木工職人になるのに時間はかからなかった。


25、6歳で[[サト>寺田サト]]と結婚。家督相続後は、町工場で覚えた技術を応用して金属の箱造りを始める。

戦争で召集されたが無事復員。その5年後、[[久保竣公]]に操られて穢封じ御筥様を開始。信者から金を騙し取ったという意識はなく、喜捨には手を付けずに保管していた。

戦争で召集され、手先が器用だったせいか軍医に気に入られ、能く手伝いをさせられた。昭和21年秋に無事復員(37歳)。その5年後、[[久保竣公]]に操られて穢封じ御筥様を開始。信者から金を騙し取ったという意識はなく、喜捨には手を付けずに保管していた。


[[久保竣公]]の葬儀を[[中禅寺秋彦]]に依頼し、葬儀後は[[久保竣公]]ゆかりの九州で暮らす。

昭和6年 [[サト>寺田サト]]と見合い結婚~
昭和7年 [[久保竣公]]誕生~
昭和21年秋 復員~

昭和25年11月 [[久保竣公]]が現れる~
昭和25年暮れ [[吉村義助]]の風呂屋で箱発見~
昭和26年2月ごろ 信者が出入りし始める~
昭和26年8月末 寺田木工製作所から穢封じ御筥様への改装完了~
昭和26年10月 ひっきりなしに相談者が訪れるようになる~
昭和27年12月1日 [[久保竣公]]の葬儀を行う~

**外見 [#y23a2c6a]
白装束。白髪交じりの頭を短く刈り込んで、兜巾(山伏がかぶるような帽子)を被っている。

骸骨に皮を張ったような男だが痩せているというわけではなく、余分なものが剃ぎ落とされているような感じ。

眼光は鈍く、視線に重力がある。瞳孔が少し混濁していた(白底翳つまり白内障が原因)。

**家族・親族 [#cac3729e]
父:[[寺田忠]]

母:[[寺田正江]]

妻:[[寺田サト]]

子:[[久保竣公]]

**別名・仇名・通称 [#g2bd2383]
穢封じ御筥様教主

**登場作 [#ff92ce8e]
[[魍魎の匣]]~
[[狂骨の夢]]~


[[百鬼夜行 陽]] 青女房~


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